こんにちは、横平です。介護のかたちって、様々な考えがあるかと思いますが、
様々な利用者様をみてきて、こちらをつづりました。
■「家で過ごす最期」は、特別な願いなのか?
「できることなら家で過ごさせてあげたい。でも…それはわがままなのか。私たちには無理なのではないか」
ご家族から最も多く寄せられる声です。
体調の不安、急変の恐怖、介護負担、兄弟間の価値観…。
“家で看取る”はロマンでも理想論でもなく、現実に向き合うテーマです。
かつて「自宅で最期」は当たり前でした。
しかし、医療が高度になり、家族構造が変わり、働き方も変わり、
病院や施設で迎える最期が一般的になりました。
だからこそ――
自宅で看取ることが贅沢ではなく、「ひとつの選択肢」であることを知ってほしいと思うのです。
■図解|終末期の選択肢と、それぞれの“家族の役割”
┌────────────┐ ┌────────────┐
│ 病院で最期を迎える │ │ 施設で最期を迎える │
├────────────┤ ├────────────┤
│ 医療体制が整う │ │ 生活フォローが手厚い │
│ 家族負担は少なめ │ │ 医療体制は施設差 │
│ 会える時間に制限 │ │ 家族の滞在に制約あり │
└────────────┘ └────────────┘
▼
┌────────────┐
│ 自宅で最期を迎える │
├────────────┤
│ 家族と時間を共有 │
│ 自宅という安心感 │
│ 急変対応の不安も │
│ 家族の参加が不可欠 │
└────────────┘
どれが正しい、どれが間違い、はありません。
ただ、どの選択にも 「家族の役割」が存在します。
■当ステーションであった実例について
「家で母を看取れたのは、特別なことではなく“選んだ”から」
— 50代 娘さん(同居)
「母が『家がいい』と言ったとき、正直戸惑いました。
感情で決めてはいけない。そう思っていたからです。
でも訪問看護さんが“できること・できないこと”をハッキリ話してくれて、
現実的に分担を考えられました。」
「夜中の息遣いを感じながら眠るのは怖かった。でも、
あの日々があったから、母のことを“送り出せた”。
それは疲れや大変さを包み込むほどの価値でした。」
「『家で最期を迎える』って、特別な人だけの話だと思っていました。
でも違いました。“家族が選べる選択肢”だったんですね。」
■「家で看取る」とは、家族が医療チームになることではない
多くの方が誤解される部分があります。
家族が看護師になる必要はありません。
訪問看護は、
▼ 病状の観察
▼ 痛みや苦しさの緩和
▼ 薬管理
▼ 家族のメンタルケア
まで含め、家族を「支える専門職」です。
さらに 訪問診療・ケアマネ・介護サービス などが一体となり、
「ひとつの在宅医療チーム」がご家族を支えます。
家族は 主役 ですが、
全部を背負う必要はありません。
■“贅沢”ではなく、“尊厳”を選ぶということ
「家で最期なんて贅沢だ」
「迷惑をかけるだけだ」
そう言うご本人も多いです。
でも…
「自分の家の匂いを感じながら」
「家族の気配を聞きながら」
「好きだった椅子で」
「庭の花を眺めながら」
それは贅沢ではなく、
その人の人生をその人らしく終えるという尊厳。
家族が選び、支え、寄り添う「かたち」なのです。
■後悔しないために必要なのは、“覚悟”より“対話”
家族の意見
本人の願い
可能な支援の範囲
仕事・距離・家族事情
すべてをテーブルに出して話し合うこと。
それは悲しい話ではなく、
あなたの家族の「未来を決める話」です。
■まとめ
“家で看取る”は、特別なことではなく選択肢のひとつ。
大切なのは、何を選ぶかではなく、
納得して選び、後悔しないこと。
そしてその過程こそが、
家族にとっての時間、思い出、そして財産になります。


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